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低線量被曝と政治

悪夢のような原子力発電所の爆発というものが現実となってしまって以来、既に一年が経ち、高線量の放射性降下物に見舞われた各都市では、避難を促す行政の後押しも援助もなく、人々は、放射性物質に取り囲まれながら、余儀なく日々の生活を営んでいる。
郡山市や二本松市などでは、変わってしまった自然条件を甘受するかのように、書店では汚染マップが売られ、街角には円筒形の空間線量計が設置されている。

原発事故からのこの一年は、日本ばかりでなく、国際社会の実に多くのウソが、明るみに出た一年であった。
政府やマスコミがつくウソは慣れっこだが、アカデミックな専門家がつくウソに、反論することは、通常素人にはそんなには容易いことではない。でもこの一年は、事情がちがった。
とても素朴なことを、少し整理しておこうと思う。

ICRPという研究機関がある。
ICRP勧告に従って日本政府は、年間被曝量1ミリシーベルトという年間被曝限度量を定めていた。

ところが、事故後、政府は、あっさりと20ミリシーベルトに書き換えてしまった。
まさか事故が起きたときには、放射能への抵抗力が増すというわけでもなかろうから、では年間1ミリシーベルトの限度量とはなんだったのか、と小学生でも思うだろう。
しかもICRPには、多くの原発産業関係者が加わっており、NHKには珍しい優れたドキュメント「真相ファイル:揺れる低線量被ばく揺らぐ国際基準ICRP」で、ICRPは、〈政治的な判断〉で被曝リスクを実際の半分に減らしていたという事実を明らかにされると、105人もの大学教授や原発技術者が、NHKのその番組を糾弾するという事態までうまれた。しかし利害関係者からのそうした抗議が、フェアなものではないとは、誰でも分かるというものだ。
科学という意匠をまとっているが、大学教授という存在も、科学的判断からほど遠い欲得世界の住人であることを、白日の下に晒してしまった。

ICRPは、被曝リスクを低く見積もっていたという事実はあるものの、それでも放射線を浴びる危険度には、この程度なら大丈夫というしきい値はなく、その危険は、直線的に増加するというLNT仮説を取っていた。
しかし原発事故後、福島では、低線量の放射線は、身体に悪いどころか、DNAの修復機能を活性化させ、むしろ身体によい、LNT仮説は間違いだ、という放射線ホルミシス説なるものが、流布しているのを知った。
汚染地帯から出たくとも出られない人が、どうせ逃れられないなら、放射能と共に暮らそうと低線量の放射線安全説に傾くのは、責められないだろうと思うし、また実際、四六時中恐怖と共に暮らしていたら、生命力も弱まってしまうのも、一面の真理であると思う。

しかし島薗進教授の調査・研究によって、放射線ホルミシスの研究に資金を提供し、ホルミシス仮説を強力に推し進めてきたのは、電力会社が出資する電力中央研究所(電中研)であったことやその研究が、アメリカの動きと密接に関連していることも明らかにされている。

それとは反対にカルフォルニア大学のゴフマン教授は、1969年、アメリカ原子力委員会の期待に反して、低線量の放射線の影響は少なくとも20分の1に過小評価されているという説を唱えて、教職を追われ、その後市民運動に転じているのを知れば、放射線研究というものが、アメリカの核戦略や原子力産業と無縁ではありえないことを、はっきり教えている。

この傾向は、アメリカに限らない。
どうにかして被曝してしまった子どもたちを助けたいという止むに止まれぬ思いから放射線研究を始めた、ベラルーシの原子力物理学者、ネストレンコ博士は、チェルノブイリ事故の実態調査をしようとすると、政府当局から圧力や脅迫を受け、放射線モニタリング装置は、没収されたという。

ワシーリー・ネストレンコ博士の紹介

またチェルノブイリ事故でのセシウム137のゴメリ市民に対する影響を研究したバンダジェフスキー博士は、ベラルーシ政府により、実刑判決を受けている。

こうしたからも、放射線被曝の研究の方向性というものが、いかに政治的・軍事的な圧力下に置かれているかを教えている。
大昔、米軍資金反対、産学協同反対というスローガンの下に、学園紛争が吹き荒れた時代があった。僕は、その男性中心主義的な闘争スタイルにもイデオロギー偏重で9条無視の論理にも共感しなかったが、あのスローガン自体は、間違っていなかったと今でも思っている。

軍産学共同を誰も疑問と思わなくなり、産業の反社会性を誰も問わなくなり、科学者の社会的責任なんて死語になってしまった時代でも、科学者が、民衆の方向を向いて研究しているのか、国や巨大産業の方を向いて研究しているのか、どちらの方向を向いて研究しているのかは、その人の科学が、信用にたるものかどうかを測る重要な判断基準である、と素人の僕は勝手に思っている。
ことに、一方で権力や巨大産業の利害に絡み、他方で全ての人の「いのち」に関わる放射能の研究ほど、科学が真であるためには、勇気が必要なのだ、と教えてくれる分野はない、とも思っている。 
そして科学が真になるためには、科学者にも美学や倫理が、不可欠なのだと思う。
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「内部被ばくの知られざる内幕」矢ケ崎克馬琉球大学教授へのインタビュー

厚生労働省は食品の基準を500Bqから100Bqに引き下げ、「絶対に安全」とうたって言います。
しかし、それは本当に安全なのでしょうか?
ドイツの基準では大人でも8Bq,子供は4Bqです。
そのことを矢ケ崎克馬琉球大学教授が指摘しています。

放射性物質を含んだガレキを一般の処分場で処理した場合、
放射性物質が周囲に飛散してしまう可能性は否定できません。
もしそうなった場合、山梨県内の農地をも汚染してしまうことになります。
そして、現在では安全と言われている県内産の作物も決して安全とは言えなくなってしまうのではないでしょうか?

低線量内部被曝の危険性

たとえ低線量であってもそれを継続的に摂取し続けることはかなりの危険があるそうです。
なぜなら、それによって、放射性物質が体内に蓄積してしまうというのです。
特に子供は大人よりも蓄積する量が高く、その場所も甲状腺、骨格筋、小腸、心筋に偏るとのこと。

『チェルノブイリ・ハート』という映画をご存知でしょうか?
あの原発事故から16年後のベラルーシを追ったドキュメンタリーです。
そこには「チェルノブイリ・ハート」と呼ばれる、生まれつき心臓に疾患を持った子供たちが登場します。
最近でもベラルーシでは心臓疾患が増えていて、2005年の段階で1991年の2倍ほどになっているそうです。

そしてその原因としても、セシウム137による内部被ばくが疑われています。
このように、低線量であっても危険であるという指摘に対して、
厚生労働省のHPでは「現在の科学では影響の有無が言えない」ことを理由に
現在の基準値の安全性をうたっています。

しかし、上述のような指摘やベラルーシでの心臓疾患の増加を無視してしまってよいのでしょうか?
本当に子供たちを守るためには、たとえその危険がどんなに小さくてもそれを避ける選択が必要なのではないでしょうか。

子供たちの安全を守るためには?

低線量被曝については様々な意見があります。
わずかであれば放射線は体に良い、というものから、たとえわずかでも子供たちには影響が出るというものまで本当に様々です。
「専門家」と言われる人たちでさえこれほど意見に差がある、
そしてどちらの意見も完全には否定できていない、ということがひとつの結論を生み出していると思います。
つまり、放射能の人体への影響はまだまだ未知のものである、ということだと思うのです。
では、子供たちを守るために私たち大人はどんな選択をすればいいのでしょうか。
それは、「危険かもしれない」という認識のもとに動くことだと思います。
もし、放射能の影響で1万人のうちの一人でも子供の健康を害する可能性があるのなら、それを避ける選択をする、ということではないかと思うのです。
以下は、チェルノブイリ事故の後、ベラルーシで研究を続けたバンダジェフスキー博士の日本講演からの抜粋です。
博士の研究発表については批判的な意見もありますが、その研究成果を完全に否定はできていないようです。
つまり、たとえ低線量でもこういったことは起こりえる、と捉えた方がいいのではないでしょうか。

「突然死する場合のセシウム濃度というのは決められたことがありません。
私たちの研究グループでも、[キロ当たり]わずか20ベクレルとか30ベクレルなどのセシウムで、心拍の異常が出てきている子どもがいました。
それが突然死の原因になり得るわけです。」
(2012年3月19日 バンダジェフスキー博士 院内講演より)

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Author:43gareki
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